2023年04月07日 │ お葬式の情報
【木魚】は何故「魚(さかな)」なのか? ~ お葬式のベルホール吉池 ~
ありがとうございます。
長野県中野市・山ノ内町・長野市を中心にお葬式・家族葬・御法要のお手伝いをさせていただいております、お葬式のベルホール、家族葬のベルハウスの土屋正雄です。
本日は「木魚」についてです。
みなさん、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか?お寺のご住職が、読経を唱えながら「ぽくぽくぽくぽく......」と。
なぜ、「木」に「魚」で「もくぎょ」なのでしょうか。
ご説明します。
【「もくぎょ」は魚の形をしていた!?】
「もくぎょ」は当初は魚の方をしていました。
現在は一般的には、鈴の形に魚の彫り物がほどこされているものが多いです。
なぜ「魚」の形なのか、については色々な説があります。
1,魚は目を開けたまま寝ます。昔、魚は眠らないとも言われていました。そのことから、修行僧への戒めとして
「魚のように寝る間を惜しみ、日夜修行に励むように」という意味で魚の形をしているという説があります。
2,「もくぎょ」はもともと魚の形をした木の坂で、叩いて時を知らせる物でした。その魚は珠をくわえており、珠は煩悩(仏教用語、人を悩ませたり惑わせたりするもの)を表していました。魚の背を叩くことで、人間のなかにある煩悩を吐き出させるという説があります。
【「もくぎょ」の歴史】
ここで、歴史にも多少触れておきたいと思います。
時は室町時代。
山梨県の「雲光寺」に「もくぎょ」がありました。
現在も使われています。欅で作られています。その「もくぎょ」には応永4年と刻銘されています。
現在は山梨市の「市指定有形文化財」に登録されています。
このことから「もくぎょ」は室町時代には日本にあったことがわかります。現在分かっている、その次に古いものは江戸時代のものです。
「もくぎょ」が頻繁に使われているようになったのは江戸時代からのようです。
江戸時代初期に日本に来日し中国(明)の高僧、隠元禅師が「もくぎょ」の原型と言われている「魚板(ぎょばん)」を伝えたのが始まりと言われています。
そして、五代目歌川広重(1890~1967)の写真集『江戸の今昔』に木魚の記載があります。
『江戸の今昔』には当時の日常品などの写真、それについての説明が書かれています。
『江戸の今昔』には木魚の写真と共に、
「江戸の頃、道楽寺和尚、阿保多羅經に用ひしとは趣きを異にし、呼鍾として用ひしならん、形平たき鈴の如く、趣味者の愛用せし物にや。」(訳:江戸時代、道楽寺の和尚が平たい鈴のような木魚を呼鍾として使っていた)
とあることからも分かるように、鈴の形をしています。
現在使われている「もくぎょ」は鈴のような形に魚の柄が刻されているものが、多いようです。
【「木魚」は何故、「魚」なのか?】
①
魚は目を開けたまま寝る、という特徴から「修行僧への戒め」として魚の形をしている。という説
②
日本に入って来た時の「魚板」の魚が珠をくわえ、その珠は煩悩を表し、魚の背を叩くことで煩悩を吐き出せる。と考えられていた説。
※あくまで様々な説があります。
「もくぎょ」がお寺にあったら、ご住職にお話しを聞いてみるのも良いかもしれませんね。
本日は以上です。
ありがとうございます。